探究的な学習で登壇

2022年5月27日(金)に、静岡東高等学校の探究的な学習で、講師の一人として登壇させていただきました。

「教育・子育て」について関心があるという高校1年生約40人に、私達が今、取組んでいる「新しい地域での学びの形」についてお話しさせていただきました。

以下、長文ですが、30分間で話した内容です。お時間あるときにお読みいただければ幸いです。

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パワポ資料

初めまして。本日は静岡東高等学校に初めておじゃまさせていただきました。ここには「教育や子育て」に関心があるという人が集まっていると伺っています。今日は、今、私が静岡県島田市で取り組んでいることを紹介させていただき、みなさんのこれからの学習の参考にしていただければと思っています。私がこれからお話することは、それをやっている人はあまりいないのではないかというお話です。たぶん、それが理由で、コーディネーターの方が私にこの役割をくださったと思うので、そのお話をしたいと思います。

では、まず自己紹介からさせていただきます。

名前は松浦 静治せいじといいます。1974年(昭和49年)6月21日生まれの47歳です。出身は新潟県長岡市の寺泊町てらどまりまちというところです。1997年 新潟大学教育学部小学校数学科を卒業しました。2000年まで、新潟県内の小・中学校で講師として学校で勉強を教えていました。2001年に結婚を機に静岡県に転居しました。結婚した相手が静岡の方でした。そして、静岡県の小学校で教諭としておよそ20年勤務してきました。その途中で2009年4月~2013年3月の間、吉田町よしだちょうの教育委員会社会教育課に出向しました。この間の経験が、のちの人生の選択に影響したと思います。2013年4月から、小学校教諭に復帰しましたが、2019年3月に44歳で小学校の教諭を早期退職しました。その年の11月に、任意団体Studyスタディー Likeライク Playingプレイングという団体を結成して、今に至ります。

家族構成ですが、妻と娘2人がいます。娘は大学2年生と1年生で、2人は大学の近くにアパートを借りて住んでいますので、今は妻と2人暮らしです。趣味はキャンプ、焚き火、ランニングで、フルマラソンも完走したことがあって、タイムは4時間40分39秒です。たいして速いタイムではありませんが。登山で富士山、槍ヶ岳、甲斐駒ヶ岳などの山に登ったことがあります。新潟県出身ということもあってスキーやスノーボードもします。料理や釣りなども趣味です。資格としては小学校の教員免許と、中学校数学の免許と、高校数学の教員免許を持っています。社会教育主事という資格も持っています。中型自動車免許も持っていて、30人乗りのマイクロバスを運転することができます。英検は3級を持っていますが、これは中学校卒業レベルで、たいしたレベルではありません。そんな私が、今、英会話教室の先生もやっています。これについては、また後でもお話します。

こんな私ですけれども、3年前に小学校の教諭を早期退職しました。その理由についてお話しします。

学校は勉強を教えるけれど、生き方を教えていない。みなさんは違うかもしれませんが、高校を卒業したらどんな大学に行きたいか、あるいは就職したいのか?大人はきっと聞くと思うのです。「あなたの好きなことは何?」「やりたいことは何?」「なりたいものは何?」と。しかし、今の日本は、多くの子が「別にない」「好きなことは特にない。強いてあげればゲーム?」とか「やりたいことは特にない。仕事は厳しくなくて給料がいいっていうところに就きたい」という人が多いのではないでしょうか。日本の学校教育を通ってきても、自分の好きなことも、なりたい自分も思い描けないという状況はまずいと思うのです。

また、英語が小学校から始まったりして、机の上での学習が増えてしまっています。全国学力テストなどでも、テスト前に過去問題を何度もやらせるということも行われています。その影響を受けて、遠足などの体験的な活動がどんどん減らされてしまっています。キャンプなども、昔は学校でやっていたところもありますが、夜中に不審者がテントに侵入したらどうするんだ、とか、屋外で調理しても衛生的なのか、と心配する保護者がいたりして、学校行事としてはやりにくくなっています。

また、なんでもかんでも学校にやってもらおうという考えもあります。お年寄りと交流するのも、障がい者と交流するのも、学校でやってもらおうという雰囲気があると思いませんか?

一方で、学校の先生たちは忙しい。残業時間が過労死ラインを超えていて、ブラックな職場だと言われて、教員になりたいという人がどんどん減っています。だから「学校でやっていることをどんどん地域や家庭でやってもらおう」という意見もあります。部活動も「学校でやるのではなく、地域でやってもらおう」という意見もあります。しかし、今現在は、地域にも家庭にもそれを受け止める仕組みがありません。このまま、学校がいろんなものを手放して「地域や学校に任せます!」と宣言しても、結局、損をするのは子どもたちです。

ですから、私は、地域で子どもたちを育む新しい仕組みを作りたいと思って、教員を早期退職しました。

これは、先ほど自己紹介でしたように、吉田町教育委員会社会教育課に出向したという経験も大きく影響していると思います。吉田町教育委員会で、学校以外の地域での教育に触れた経験が、地域での教育の仕組みを作りたいという思いに至ったと思っています。

私が、学校の教諭を退職して、この4月で3年が経過しました。その間に、私が作ってきたことを紹介したいと思います。

退職した理由でお話したように、地域での学びの形を作りたいと思ってやってきました。この3年でやりたいと思っていたことの骨格ができてきたと思っています。しかし、まだか細い骨といったところです。これからは、筋肉を丈夫にして、太くて力強い取組みにしていきたいと思っています。 それでは、どんな取組みをしているのか、一つずつ紹介させていただきます。

一つ目は、「放課後ひだまり教室」という取組みです。これは、島田市にある障がい者のためのグループホーム陽だまりというところで行っています。このグループホームには知的障がいのある方が10人程住んでいて、スタッフさんがお世話をしている施設なのですが、ここを運営している人たちが「障がい者だけの施設ではなく、みんなが利用できる施設にしたい」ということで、誰でも利用できるカフェを開設して、子ども食堂も実施していました。それを知った私が、「何かお手伝いできることはないですか?」と言ったところ、「もっと子どもたちが来てくれたらうれしい」ということで、「それならば、子どもたちの宿題を見てあげたら、きっとたくさんの子どもたちが来るようになりますよ」ということで、始めました。毎日15人~20人くらいの子どもたちが来て宿題をしているのを、地域のボランティアさんと見守っています。

今はコロナで交流を控えていますが、コロナ前は、入居している障がい者の方との交流もありました。入居者の一人で、何か不安のことがあるとパニックになってスリッパを投げるという方がいらっしゃいました。それを見た子どもたちは「え~、何?こわい」という表情をしていました。そこで、私は子どもたちを呼び集めて、「あの人はパニックになってスリッパを投げるけれど、実は投げる方向を考えているから」と話をしました。すると、しばらくしてまたパニックになった時に、子どもたちが「わかった!」と言ってきたのです。「今ね、スリッパを投げようとして、ガラスの方だったから、投げるのをやめて、ソファーの方に投げた」と。そこで私は、「そうだよ。あの人はパニックになっても、ちゃんと投げる方向を考えているから、ぜったい人がいる方には投げないから大丈夫だよ」と言ったら、子どもたちは落ち着いたようでした。それからまた、その方がパニックになったときに、小学校4年生の女の子でしたけれども、その人のところへ行って「どうした?何かあった?大丈夫だよ」と声をかけたんですね。ふだんから障がいのある方と接していれば、「怖い!」という感覚はなくなって、自然な形の交流ができるようになるのですね。

また、地域の方が、宿題が終わった子に、針と糸でお手玉づくりを一緒にやってくれたり、将棋をやってくれたりしました。プランターで植物を育てるようなミニ農業体験をしたり、火をおこして焼き芋を作ったりする体験活動も取り入れるようにしています。また、北海道の寺子屋とZOOMをつないで、オンラインで交流したりもしています。

保護者からの相談も受けることがあります。担任の先生から「この子は勉強がわかっていないようだから、特別支援学級に移った方がよいのではないでしょうか」と言われたと、お母さんから相談されました。私は「じゃあ、しばらく放課後ひだまり教室に通わせてみてください」ということで、その子の宿題を見守りました。確かに、来たばかりのころは勉強が分かっていない様子でしたが、丁寧に宿題を見てあげていたら、学習が理解できるようになってきました。そのほかにも、「うちの子はおちつきがなくて」とか「算数がわかっていなくて」という子を預かって、勉強を見てあげています。

夏休み、冬休み、春休みの長期休みや、新型コロナの休校中は、朝の8時から子どもを預かっています。宿題をやるのを地域ボランティアの方と見守っています。時間がたくさんあるので、自由研究にも挑戦します。写真は、ふかふかパンケーキを作りたいということで、自分たちでタブレットパソコンで作り方を調べ、材料を買ってきて実際に作っているところです。また、地域でのレクリエーション大会にも参加させていただきました。子ども食堂をやっているひだまりカフェからの無料昼食提供も、夏休みの間に4回実施しました。また、8月は日本にとっては戦争で原子爆弾が投下されて、8月15日に降伏して終戦した特別な月ということで、戦争に関する学習もしました。

昨年の9月からは、不登校の子の居場所を作ろうと、「フリースクールひだまり教室」を始めました。放課後ひだまり教室をしている部屋で、学校に行けない・行かない子たちを受入れています。ここでは学校の勉強に限らず、自分の興味があることを学んで良い場にしようと思っています。「ひだまりベイス」というのは、フリースクールとして毎日こっちに通う訳ではないけれど、学校に行けない時にいられるように、ちょこっと利用ができるようにしています。

日本の学校は、いわゆる普通の学校に行けないとなると、その他の選択肢がほとんどありません。みんなに見つからないように、家でひっそりとして過ごしていないといけないという雰囲気があります。しかし、私は、もっといろんな形態の学びの場があった方がよいともっています。自然体験の中で学んでいく自然学校があったらよいと思いますし、もっとパソコンなどのICT機器を使う学校があってもよいと思いますし、外国語で勉強をするインターナショナルスクールなんかももっと選べたらよいと思うのです。オルタナティブとは「選択が可能な」という意味です。

週末の学校が休みの日には、いろいろな体験活動を提供しています。私が学校の教諭を退職した理由でもお話したように、子どもたちにさまざまな体験の機会をちゃんと提供する仕組みを作りたいと思っているからです。

キャンプの中には、子どもたちにとって、とても大切な要素が詰まっていると思っています。テントを張って自分の寝床を確保すること、火をおこして体を温めたり、料理を作ったりすること。また、花火で安全に遊ぶこと。川遊びや森遊びをして、自然にふれること。一緒にキャンプをしている人と役割分担して協働して過ごすこと。こういうこと大切なことがキャンプにはたくさんあると思うのです。

学校では安全性や衛生面から、みんな一律にキャンプをするという訳にはいかなくなってきていますが、地域でキャンプ教室を開催して、そこに参加させたいという意思のある親と子どもが申し込んでくれば問題ないと思うのです。

農業体験教室も行っています。今の子どもたちは「消費」に偏って生活しています。ふだんの生活の中で何かを生産するという機会がほとんどありません。お米や野菜を作る大変さを知りません。その結果、食べるか食べないかの判断基準がおいしいかおいしくないかだけになってしまって、食料を生産した人たちの苦労も、良いものを消費者に届けたいという思いも知らないまま、平気できらいなものを捨てるという人がとても多いです。学校で「いただきます」をしてきたと思いますが、その「いただきます」には、いったいどれくらいの気持ちが入って言っているのでしょうか。私は、種まきや田植え体験をしたり、収穫して根っこをとったり、エダマメを枝から外したりして大変さを経験してもらったり、収穫したトウモロコシを、その場でゆでて食べたりしておいしさを実感してもらうことで、食べ物に対する考え方を育てていきたいと思っています。

今のこの時期は梅の実がとれる時期ですが、そんなことを気にしている子どもはほとんどいないかもしれません。でも、自然の恵みである梅の実はそのまま置いたらすぐに傷んで食べられなくなってしまいます。それを梅干しにしたり梅ジュースにしたりすることで、長期間にわたってそれを保存し、食べたり飲んだりすることができます。

その他、そば打ち、みそ作り、パン作り、ミニ門松作り、松ぼっくりを使ったクリスマス飾り作りなどをやっています。

みなさんは知っていると思いますが、「みそ」が何からできているか知らない子もたくさんいます。大豆と米と麹と塩で作るのですが、製品として売っているみそしか知らないので、それが何からできているのかがわからないのです。

島田市には徳川家康と武田信玄が争った諏訪原城の跡があります。どうだんつつじのきれいなどうだん原という場所や、国の天然記念物の大杉がある千葉山があります。そういった場所を子どもたちと探検するイベントを行っています。みなさんは経験があるかもしれませんが、そこについて詳しい人に解説してもらうと、その場所のすごさがより強く感じられることがあります。このような機会を経験することで、自分のふるさとに対する愛着を育てていけたらと思っています。

「将来の夢がない」とか「自分の好きなことがわからない」というのは、実は無理もないことなのです。子どもたちは、みんな同じ教科書を渡されて、その中身をどれだけ暗記したかを競わされて、学校から帰ってきたらまず宿題で、早くお風呂に入って寝なさいでは、自分の好きなことを探させてもらうことも、それを磨かせてもらったこともないのです。ですから、私は、子どもたちが自分の好きなことを探して、それを磨くことができる場を作りたいと思っています。

それが地域型クラブ活動です。これは、放課後ひだまり教室とも連動していて、子どもは学校が終わると歩いて放課後ひだまり教室までやってきます。そして、希望者は時間になったら英語クラブに行ったり、プログラミングクラブに行ったりします。そして、クラブが終わったらまた放課後ひだまり教室に戻ってきて、おうちの人が迎えにくるのを待つこともできます。保護者からしたら、宿題も終わって、習い事もできているという状態です。親が送り迎えをしなくてもそれが終わっているのです。

私は今、英語クラブの講師をしていますが、このクラブは私が教えている訳ではありません。子どもたちが自分たちで学ぶのをサポートしています。だから英検3級しか持っていませんが、英語クラブの講師をしています。

今はまだ、英語クラブとプログラミングクラブの2つですが、このクラブをもっと増やしていきたいと思っています。地域の人でお菓子作りの好きな人が講師になって、子どもを集めてお菓子作りクラブを作るとか、木工クラブを作るとか、歴史クラブや鉄道クラブなんていうのも良いと思います。

また、中学校のクラブ活動を学校でやるのではなく、地域でやってもらおうという動きがあります。そうなった時の受け皿になれたらと思っています。

今までの話の中に何度か出てきましたが、ひだまりカフェは、障がい者のグループホーム陽だまりの中にある、誰でも利用できるカフェです。このカフェは、この施設を障がい者だけのものにしないために作られました。そして、子ども食堂も行っており、子どもが来たら無料でパンセットやおにぎりセットなどが食べられます。また、この取り組みに賛同してくださっている方がお野菜やパンを無料で提供してくださっています。クリスマスなどには交流イベントを開催して、障がい者も子どもの地域の人も一緒になって楽しい時間を過ごしています。

このように、私は学校の教諭を退職して、地域での新しい学びの形を作ろうとしています。

子どもをきっかけに、地域の人がつながる仕組みを作っています。今まで学校に依存していた子育てや教育を、地域で担う仕組みを作っています。地域には子どものために何かしたいと思っている人が実はたくさんいます。登校する子どもたちを見守るために、毎朝交差点に立ってくださっている人がたくさんいるわけです。そのような人たちに活躍の場を提供したいと思っています。それができれば、地域のみんなで子どもを育てる環境が醸成できると思うのです。その中で、子どもたちは教科書の知識を詰め込むだめでなく、自分の好きなことを探し、それを磨き、自分の生き方を見つけていける、そんな社会を作っていきたいと思っています。

質問

Q1:障がい者の方がスリッパを投げるというお話がありましたが、先生は、どうしてその人が投げる方向を考えているということがわかったのですか?

A1:その人が以前にスリッパを投げた時に、そこに人形があってそれが倒れたんですね。それをグループホームのスタッフさんが「ほら、人形が倒れちゃった。そっちに投げちゃダメだよ」って言ったら、そっちに投げないようになったんですね。それを見て、この人は言われたことがわかっているんだなって思って。でも、分からないこともいっぱいあります。その時は、子どもたちと一緒に「何かね?どうしてあんなことをするかね?」と、一緒に悩むようにしています。

Q2:クラブSOJI(素地)の”素地”には、どんな意味があるのですか?

A2:学び方の”素地”という意味を込めました。学校のように、先生が教えてくれたことをノートに書いて、暗記して、テストで答えるという学び方ではなくて、自分で興味のあることを、自分から学ぶという、新しい学び方の素地を養おうということを目指しています。

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