〇目次
子どもたちの成長にとって大切なもの
◎自分で選べる時間
◎一緒に過ごせる仲間
◎やりたいことを叶える材料や機材
◎その選択に付き合う大人
この4つは、宿題にも生きる
宿題が終わったら、自分たちの放課後をつくる
遊んでいたら、学びが始まった
生活の中に学びがある
特に難しい「自分で選べる時間」と「付き合う大人」
特別なことではない。でも、簡単ではない
こんな放課後が当たり前になったら
子どもたちの成長にとって大切なもの
子どもたちの成長にとって、大切なものとは何でしょうか。

〇学習をして学力を身に着ける時間。
〇分からなかったことが分かり、「できた」と感じる時間。
〇夢中になって遊ぶ時間。
〇何かを作ることに没頭する時間。
〇友達と一緒に体を動かす時間。
〇とりとめのない話で笑い合う時間。
〇友達ともめる時間。仲直りする時間。
〇少し疲れて、何をするでもなくぼーっとする時間。
そのどれもが、子どもにとって大切な時間なのだと思います。
何かのためでなくてもいい。大人によって計画された活動でなくてもいい。何かの能力を伸ばすことを目的にしていなくてもいい。たまたまそのときに、偶然そうなったことでも、その時間が子どもの成長につながっていることがあります。
では、そんな時間が生まれるためには、何が必要なのでしょうか。
私は、少なくとも次の4つが大切なのではないかと思っています。
◎自分で選べる時間。
◎一緒に過ごせる仲間。
◎やりたいことを叶えるための材料や機材。
◎その選択に付き合う大人。
この4つがそろった時間が、子どもたちの成長にとってとても大切なのではないかと思っています。
◎自分で選べる時間

まず必要なのは、子どもが自分で何をするかを選べる時間です。
予定が組まれていない時間。
「次はこれをしなさい」と決められていない時間。
自分で、
「何をしようかな」
と考えられる時間です。
子どもの時間は、大人が予定を組もうと思えば、いくらでも埋めることができます。
勉強をする。
習い事へ行く。
スポーツをする。
何かの活動に参加する。
どれも大切なことです。
でも、それとは別に、
子ども自身が「今日は何をしよう」から始まる時間
も、子どもの成長には必要なのではないでしょうか。
自分で選ぶ。
やってみる。
途中で違うと思ったらやめる。
別のことを始める。
誰かを誘う。
一人で何かに夢中になる。
何となく過ごす。
そういう、自分で使い方を決められる余白です。
◎一緒に過ごせる仲間

自由な時間があっても、一緒に過ごす仲間がいるかどうかで、その時間は大きく変わります。
一緒にサッカーをする。
カードゲームをする。
工作をする。
とりとめない話をする。
一人が始めた遊びに、別の子が加わる。
年上の子が年下の子に教える。
年下の子から年上の子が教えてもらう。
友達ともめることもあります。
思い通りにならず、腹を立てることもあります。
言い過ぎてしまうこともあります。
でも、また一緒に遊ぶこともあります。
子ども同士が一緒に過ごしていると、大人が最初から計画していなかったことが次々に起こります。
一人では思いつかなかった遊びが始まる。
誰かが得意なことを教えてくれる。
自分とは違う考え方に出会う。
そのとき分かる人が、そのとき困っている人を助ける。
そんな時間も、子どもの成長にとって大切なのだと思います。
◎やりたいことを叶える材料や機材

ただ、
「好きなことをしていいよ」
と言われても、実際にできることがほとんどなければ、選択肢は限られています。
「何か作りたい」と思っても、材料がない。
身体を動かしたくても、使えるものがない。
遊びたいと思っても、遊べる道具がない。
だから、子どもの「やってみたい」が実際の行動につながるためには、環境も必要です。
放課後ひだまり教室には、特別な設備が何でもそろっているわけではありません。
それでも、子どもたちが何かを始めたいと思ったときに、できるだけ応えられるようにしています。
画用紙、色鉛筆、段ボール、ガムテープ、はさみ、段ボールカッター、工作に使えそうな材料、レゴブロック、おもちゃ、ボードゲーム、カードゲーム、そして、室内でもドッジボールやサッカーができるような柔らかいボール。
一つ一つを見れば、特別なものではありません。
けれど、
「何かを作りたい」
と思ったときに材料があること。
「みんなと遊びたい」
と思ったときに使えるものがあること。

それは、子どもの思いつきが、そのまま消えてしまわないために大切なことです。
私たちはできる範囲で、
「やりたい」が「やってみよう」に変わる環境
を用意したいと思っています。
◎その選択に付き合う大人

そして、もう一つ大切なのが、
子どもの選択に付き合ってくれる大人がいること
です。
子どもが、
「これを作りたい」
と言ったときに、
「じゃあ、何が必要かな?」
と一緒に考える。
段ボールが必要なら出す。
ガムテープが必要なら用意する。
難しいところがあれば、少し手を貸す。
「外で遊びたい」
と言えば、安全に行ける方法を考える。
なるべくスタッフが付き添う。
面白い生き物を見つけたら、一緒に立ち止まる。
「ちょっと見て」
と言われたら、できるだけ見る。
困っているようなら声をかける。
でも、子どもたちだけでできているなら、むやみに大人が介入しない。
子どもに寄り添うとは、何でもやってあげることではありません。
いつでも隣にいるということでもありません。
必要なときには近づき、
子どもたちだけで大丈夫なら離れる。
それでも、関心までは手放さない。
その距離感を大切にしています。
もちろん、家庭にも地域にも大人はいます。
しかし、みんなそれぞれの生活があります。
仕事がある。
家事がある。
用事がある。
そんな中で子どもが突然、
「一緒にやろう」
「これ作りたい」
「ちょっと見て」
「あそこへ行きたい」
と言ったとき、その思いつきに30分、1時間と付き合うことは簡単ではありません。
しかも、子どもの「やってみたい」は、大人の予想通りに進むとは限りません。
突然始まります。
思っていた以上に長く続くこともあります。
途中で失敗します。
別のことに脱線することもあります。
だから、
子どもと付き合うには、大人にも余白が必要なのです。
放課後ひだまり教室にも、スタッフがたくさんいるわけではありません。
子ども20人ほどに対して、スタッフは3人程度です。
一人ひとりに大人がずっと付いていられるような環境ではありません。
それでも、
子どもに付き合うことを、大人の役割の一つとして大切にする。
そのことを意識しています。
この4つは、宿題にも生きる

ここまで書くと、
「ひだまり教室は、子どもが好きなことをして過ごす場所なのか」
と思われるかもしれません。
でも、そうではありません。
ひだまり教室では、宿題もしっかりやります。
放課後、ひだまり教室にやって来た子どもたちは、まず宿題に取り組みます。
ここでも、先ほどの4つは大切です。
◎宿題に取り組む時間がある。
◎一緒に宿題をする仲間がいる。
◎必要な教科書や教材がある。
◎そして、分からないときに寄り添う大人がいる。
一人で机に向かわせて、
「終わるまでやりなさい」
というだけではありません。
なかなか宿題に取り掛かる気分になれない日もあります。
分からなくて止まってしまうこともあります。
そんなときに、
「嫌ならやらなくていいよ」
で終わるわけではありません。
反対に、
「いいから早くやりなさい」
とだけ言うわけでもありません。
隣に行って、
「やりたくない日もあるよね」
と声をかけ、
「どれ?一緒にやるか。手伝うよ」
と寄り添います。
一緒に問題文を読むことがあります。
問題の意味が分からなければ説明します。
教科書を持ってきて調べてごらんと促します。
ヒントを出すこともあります。
「分かってきたね。あとは自分で解いてごらん」
そう言って、隣を離れることもあります。
大切にしているのは、ただ宿題を終わらせることではありません。
「分かった」 「できた」 「やり切った」
という感覚を持って学習を終えることです。
宿題について、いろいろな考え方があるのは承知していますが、ひだまり教室は宿題(放課後学習)を大切にしています。
学校で学んだことを、しばらく時間をおいて復習する。
それは学習の定着にとって大切だと思うのです。
小中学校で学ぶことは、大人になっても大切な学びの基礎基本です。
それをしっかりと身に着けることができたら、それは子どもにとっての利益だと思います。
そして、
「分かった」
「できた」
「やり切った」
という満足感は、また明日も学校でやってみようという気持ちにもつながるのではないかと思っています。
宿題が終わったら、自分たちの放課後をつくる

宿題が終われば、
「今日は何をしよう」
が始まります。
ひだまり教室では、ほとんどの日、大人が、
「今日はこの活動をする」
と決めているわけではありません。
ひだまり教室に来たら何をするか、決めてきている子もいます。
その子に誘われるようにして参加する子もいます。
サッカーを始める子。
卓球を始める子。
レゴブロックをする子。
友達やスタッフを誘ってカードゲームをする子。
工作を始める子。
外へ行きたいと申し出る子。
それぞれが、自分たちの放課後をつくり始めます。
ひだまり教室では、
子どもが自分で何をするかを選び、その選択をできるだけ実現できるように支える
ことを大切にしています。
遊んでいたら、学びが始まった

以前、子どもたちと水路へ行ったときのことです。
遊んでいる中で、子どもがヤゴ(トンボの幼虫)を見つけました。
そして、
「飼いたい」
と言いました。
そのヤゴをひだまり教室に連れて帰り、水槽に入れました。
数日後、そのヤゴが木の枝を上ってきました。
子どもたちは、
「これはきっと羽化するよ!」
「明日の朝には羽化してるんじゃない?」
と言いました。
そこから、
「ほら!ここに隙間ができている」
「本当だ!」
「これは絶対に明日には羽化しているね!」
と興奮気味に口々に言い合い、熱心に観察していました。
そして翌日、ヤゴからトンボが羽化しました。
窓のカーテンに止まっていました。

これは最初から、
「今日は水生生物の観察をしよう」
と計画していたわけではありません。
自然体験プログラムを行っていたわけでもありません。
ただ遊んでいたら、ヤゴを見つけた。
子どもが興味を持った。
「飼いたい」と言った。
それなら、と飼うことになった。
毎日様子を見るようになった。
そして、羽化したトンボを発見した。
もし、この出来事を教育活動として説明しようと思えば、
「自然への関心を育む」
「観察する力を育てる」
「生命に対する畏敬の念をもつ」
と、いろいろな言葉を付けることができるかもしれません。
確かに、そこには学びがあったと思います。
でも、私たちは最初から、その学びを目的にしていたわけではありません。
遊んでいたら、学びが始まった。
それだけです。
そして、私たちはそれでいいのだと思っています。
生活の中に学びがある

子どもたちの生活の中には、本当にいろいろなことがあります。
友達に教える。
友達から教えてもらう。
遊びのルールを考える。
喧嘩をする。
言い過ぎる。
謝る。
仲直りする。
自分の思い通りにならなくて苛立つ。
何かを作って失敗する。
もう一度やってみる。
生き物を見つける。
知っている子が説明してくれる。
自分で調べる。
大人に聞く。
誰かを助ける。
誰かに助けてもらう。
その一つ一つには、たくさんの学びがあります。
けれど、それらをすべて、
「社会性が育ちました」
「非認知能力が向上しました」
「探究力が身に付きました」
と成果に変換しなくてもいいと思っています。
遊びは、学ぶためだけにあるわけではありません。
友達と笑った時間には、その時間そのものに価値があります。
何かに夢中になった時間もそうです。
ぼーっとしていた時間だって、無駄だとは思いません。
ひだまり教室で大切にしているのは、
学ぶために生活することではなく、生活していたら、その中に学びがあること。
なのだと思います。
特に難しい「自分で選べる時間」と「付き合う大人」
この4つの中でも、特に難しいと感じるのが、
子どもが自分で選べる時間をつくること。
そして、
その選択に付き合う大人でいること。

です。
子どものために、大人はたくさんのものを用意しています。
勉強を教える。
スポーツを教える。
行事を企画する。
遊びを用意する。
安全に過ごせるようにルールを決める。
どれも、子どものためを思って行われていることです。
でも、大人が子どものためを思って何かを用意すればするほど、
「今日はこれをします」
「次はこれをします」
「ここではこうしてください」
と、大人が子どもの時間の使い方を決めることも増えていきます。
すると、
「あなたは今、何をしたい?」
と子ども自身に尋ねる時間が、少なくなってしまうことがあります。
反対に、
「好きなことをしていいよ」
と言うだけでも十分ではありません。
自由な時間はあっても、仲間がいない。
仲間がいても、遊べる場所がない。
場所があっても、やりたいことを実現するものがない。
そして、大人は遠くから見ているだけ。
それでは、子どもの自由な選択を支えているとは言いにくいでしょう。
子ども自身が何をするかを選ぶ。
そして、その選択に必要なものをそろえたり、困ったときには手を貸したり、必要なら一緒にやったりする大人がいる。
私は、この両方が大切なのだと思っています。
特別なことではない。でも、簡単ではない
こうして書いていると、放課後ひだまり教室がしていることは、特別なことではないように思えます。
◎子どもが自分で使える時間をつくる。
◎一緒に過ごせる仲間がいる。
◎必要な道具や材料を用意する。
◎その子の選択に、大人ができるだけ付き合う。
宿題にも一緒に向き合う。
本当に、一つ一つを見れば当たり前のことです。
しかも、すべてに応えられているわけではありません。
スタッフは少ないですし、材料は有限です。機材も十分ではありません。
何か画期的な教育メソッドを実現しているわけでもありません。
ただ、
子どもの成長にとって必要だと思う環境を、一つ一つ、できる範囲で愚直に用意しようとしている。
それが、放課後ひだまり教室なのだと思います。
でも、この4つがそろった環境は、意外と簡単にはつくれません。
特に、
◎自分で選べる時間。
◎その選択に付き合う大人。
この二つは、大人が意識して守らなければ、簡単になくなってしまいます。
こんな放課後が当たり前になったら

放課後ひだまり教室は、
「特別な教育をしている場所」
でありたいと思っているわけではありません。
むしろ逆です。
ここにあるような環境が、特別なものではなくなってほしいと思っています。
子どもが、自分で何をするかを選べる。
一緒に過ごせる仲間がいる。
やってみたいことを実現する材料や機材がある。
そして、その選択に付き合ってくれる大人がいる。
学ぶときにはしっかり学べる。
「分かった」
「できた」
「やり切った」
を実感できる。
そしてその後は、
「今日は何をしよう」
から、自分たちの放課後をつくることができる。
そんな時間が、子どもたちにとって特別なものではなく、当たり前のものになったらいい。
そう思っています。
放課後ひだまり教室が提供しているのは、
子どもが、仲間や大人とともに、放課後を生きる時間です。
今を楽しむ。
学ぶことを楽しむ。
生きることを楽しむ。
そんな時間が、子どもたちにとって当たり前になってほしいと思っています。
※このブログはChatGPTを活用して書きました。