静岡新聞 賛否万論のキュレーター(ご意見番)に選んでいただいての6回目の投稿が掲載されました。
今回のテーマは「生成AIを学校現場で使うのはあり?」
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私は生成AIを学校現場で使うのはありだと思う。理由は、学びの参考にはなるが、人間に取って代わるものではないからだ。9月8日付けの本欄で、担当記者さんがチャットGPTを使って「桃太郎」の読書感想文を書かせてみたという記事があった。それによると、生成AIは「桃太郎」を「勇気や正義」と「友だちとの協力の大切さ」の物語として読んだとしている。そして「困ったときは、一人ではなく友だちと一緒に解決することが大切」と続く。ここまでは感想文の章立てとして参考にはなる。しかし、ここで不足しているのは、この感想文を書いた人の「経験」である。感想文において大切なのは、本をきっかけに、読者が自分の経験やそれにまつわる自分の考え方を内省することにある。例えば「学級の中でいじめがあったときに、自分は信頼できる友だちと力を合わせていじめられている子を守った」などという経験と、そのときに「いじめっ子に注意するのは怖かったけれど、一緒についてきてくれた友だちがいたから勇気をふりしぼることができた」などという気持ちの内省である。
もちろん、生成AIに嘘の経験を架空に創作させることもできるのかもしれないが、学校の先生はそんなにバカではない。架空の創作なのか、その子の経験なのかは大概見破ることができる。この子を呼んで、その経験の経緯を聞き出してみれば、真の経験かAIの創作かはすぐにわかる。
つまり生成AIでは、読者個人の経験やそれにまつわる考え方を書くことはできないし、書かれたものを読んで読者の真の経験かAIの創作かを見抜くこともできない。
私はこの夏休み、自分が主宰する寺子屋「ひだまり教室」でおよそ20人の読書感想文を手助けした。読書感想文を読み、それを書いた子と向き合って経験や考え方を聞き出していった。中には、そのときの自分の気持ちをどう書き表したらいいかわからずに、涙を流しながら必死に考える子もいた。しかし、その一人一人に寄り添い、じっくりと待ち、子ども自身が言葉を紡ぎ出していくのを手助けする営みこそが教育なのだと、私は思っている。
繰り返すが、生成AIを学校現場で使うのはありだと思う。しかし、参考にはなるが、人間に取って代わるものではない。
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御高覧いただき、ありがとうございました。
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