イメージ

昭和の思い出

昔は「好き嫌いなんかするな!」「何でも、残さず食べろ!」と言って、嫌いなものでも無理矢理食べさせるということがありました。

「給食が食べ切れなくて、周りはみんな掃除をしているのに、給食を片付けさせてもらえなくてつらかった」なんていうことが、伝説のように語られています。

今ほど豊かな時代ではありませんでしたし、終戦の貧しさを知っている人達がたくさんいましたから、食べ物を残すということは「あってはならないこと」のように言われていました。

食が豊かな時代になって

食が豊かな時代になり、「嫌いなものは、無理して食べなくてもよい」「嫌いなものを食べなくても、他のもので栄養価は充分(おぎな)えるのだから大丈夫」という考えの方も多くなってきたように感じます。

今の学校の先生たちも、「無理矢理食べさせて、保護者からクレームをもらうくらいなら、放っておこう」と思っていたり、「そもそも、私も嫌いなものはあるから、無理して食べなくたっていいと思う」という方もいたりします。

栄養面は問題ないとしても

確かに、嫌いなものを食べなくても、他のもので(おぎな)えば栄養面は問題ないかもしれません。しかし、私は人格形成の面から、少し考えを述べてみたいと思います。

自己中心的な考え方

「これは嫌いだから食べない」というのは、自分が価値観の中心にあります。あるいは、自分しかこの価値判断に関係していません。まず、自分が優先されます。

これを作った農家の方の苦労も、料理をしてくれた人の思いも、そこにお金を出してくれている家族の思いも、恐らく、全く考えられていません。他者は二の次です。

「嫌いだから食べない」は「嫌いだからやらない」に拡大する

そして、「これは嫌いだから食べない」という行動ルールは、「これは嫌いだからやらない」という、他の行動にも拡大していきます。そして、それは面倒なこと、疲れること、自分が苦手なことはやらないという判断になります。

単純に言えば、「勉強は(いや)。やりたくない」ということです。

しかし、「嫌いなものは食べなくてもいいよ」という親でも、「勉強は嫌いならやらなくてもいいよ」とは、なかなか言わないと思います。

そして、「うちの子はなかなか勉強をやりたがらない」「いくら言っても、文句ばかり言ってくる」「ゲームはやるけど、ほんとうに勉強をやらなくて」「やったとしても、ほんとに雑。これで身についているとは思えない」となっているのではないでしょうか?つまり、結局苦労するのは親なのです。

自己中心的でも、悪ではないが

ただし、自己中心的な子は悪か?といえば、悪ではありません。自己中心的な考え方を(つらぬ)いて、成功している人も、世間にはいると思います。自分の好きなことにとことんこだわってお金や地位を得ている人もいるようです。しかし、かの有名人の中には、周りの人とトラブルになっているような人もいるようです。

「嫌いでも、少し食べてごらん」

私(松浦)は、「たとえ、これが嫌いでも、作ってくれた人のことを考えて、せめて一口だけでも食べよう」と言って欲しいと思っています。この考えには、他者を尊重する考えがそこには含まれていると思うからです。そして、人の味覚は変化します。子どもの頃、(にが)くて嫌いだったものが、大人になったら好きになっていることもあります。

全ての人に当てはまる訳ではないかもしれませんが

「嫌いなものは無理して食べなくてもいい」と言われて育った子が、みんな自己中心的でわがままな子になる訳ではないかもしれません。とても思いやりがあり、(つつし)み深く、他者を尊重する人に育っている人もいるかもしれません。

しかし、「うちの子は、ほんとにわがままで」「うちの子は、何でこんなに頑固(がんこ)なの?親の言うことなんて全然聞かないんだから」「うちの子は、親に向かってすぐ口答(くちごた)えして、怒ってくる」と(こま)っている方。「べつに嫌いなものは無理して食べなくてもいいよ」と育ててきていませんか?

親を困らせる子は、親が作っている(ことがある)

最近は「発達障害」という言葉が広く知られるようになりました。「うちの子はこだわりが強くて」「うちの子は、何かちょっと言うと、すぐキレる」「暴れて暴れて手が付けられない」→「もしかして、発達障害かしら」と。

しかし、ちょっと待って欲しいのです。

その子は「発達障害」ではないのかもしれません。病院に連れて行って、落ち着かせる薬を処方してもらって、それを飲ませる前に、本当にそれしか方法がないのか?それが、その子にとって最善のことなのか?

また、たとえ「発達障害」であったとしても、薬を飲んだからといって、いつか完治する訳ではありません。薬は脳の働きに作用して、トラブルを起こしにくくしているに過ぎません。「発達障害」の場合は、親がその子への接し方を工夫して、トラブルを起こさない行動のしかたを、その子に根気強く教えていかねばならないのです。

今回は「嫌いなものは食べなくてもいい」を例に挙げたが

今回、このブログは「嫌いなものは食べなくてもいい」を例に()げましたが、それが全ての原因という訳ではありません。親を困らせる子の原因は、親の接し方のどこかに原因があることがあります。何が原因かは、千差万別(せんさばんべつ)ですが、昔の価値観の中にも、大切なものが隠れていることがあると思います。

アレルギーは別です

「嫌いなものは食べなくていい」→「全てのものを食べさせよ」ではありません。アレルギーのあるものは食べさせないでください。

※このブログの内容は、教員を約20年間やってきた経験則からの考えです。科学的にとか、統計的にとかという類いのものではありません。もし、このブログをお読みになってご不快に感じる方がいらっしゃったら、申し訳ありません。修正すべきとお考えのことがありましたら、ご指摘いただけたら幸いです。

「嫌いなものは食べなくていいよ」は自己中心的な子を育てる!?」への2件のフィードバック

  1. 修正ではありません。
    思い出したので…
    私も小学生の時、給食で居残りしたくちです。下校時間が過ぎても帰宅しなかったので親が学校まで探しに?来ました。家でも片付けが終わっても食べられなくて椅子に座って居ました。
    「1口だけ食べよう」って言って欲しかった。口をつけたら頑張った事を褒めて「明日は2口頑張ってみよう」って励まして欲しかった。
    食べられなかった物は、大人になって大好物になってます。
    嫌いな物を無理して食べる必要はないと思うけど、全ての食材(恵み)と作ってくれた人、食べられる事に感謝したら残せませんね。

    親を困らせて居るのでは無く、困って居るのは子どもです。困らせて居るのは、大人です。
    親の無意識の過干渉とその逆…子どもの困った行動全てに理由があります。
    親の接し方で子どもは変わります。1日1回抱きしめるだけでも‼️

    1. Minakoさん、コメントありがとうございます
      投稿すべきか、せざるべきか。ずっと迷っていたブログです。「私の考えが正しい」と主張するというより、「私はこんなふうに考えているけど、皆さんはどうですか?」と思っていただけたらいいかなぁ、と、投稿して、まる一日経って思っています。
      「嫌いなものを食べない」というより、「他者に感謝し、尊重する気持ちを育てているかどうか」が大事じゃないか、というブログのほうがよかったかもしれない、とも思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です