金谷北地域交流センターの多目的ホールで行った夏休みひだまり教室

「今の学校教育では、人をちゃんと育てられない」そう思って早期退職をした私(松浦)が思う作りたい学校について書いてみます。この頃、そういう話をする機会が多かったので…。

体験が足りない

なぜ、今の学校教育では、人をちゃんと育てられないと思ったのか。その一番の理由は「体験が足りない」ということです。学校は教科書で教えなければならないことが多過ぎて、机の上での勉強が多くなってしまっています。体験的な活動を十分させてあげられていないと思ったのです。

体験を通して学ぶこと

例えば、子ども達に農作業を体験して欲しいと思っています。お米や野菜を育てるのは、そう簡単ではありません。せっかく芽が出ても虫に食べられてしまったり、収穫直前にカラスやイノシシに食べられてしまったり。食べ物を生産するのは大変なのだということを体験した子は食べ物を大事にすると思うのです。学校でも「食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちをもって『いただきます』と言って食べましょう」と指導はしますが、食べ物を生産する大変さを知りませんから、ただ唱えるだけのお題目になってしまっていると思うのです。残念ながら子どもたちは”おいしいから食べる。” ”まずいから食べない”という基準だけで決めています。そこに生産した人への感謝や思いやりはありません。

農作業体験

体験こそ学びの原点

農作業をしていると「連作はしてはいけない」ということを知ります。同じ科の植物を同じ場所で作り続けるとうまく育たなくなるというのです。例えばキャベツ、ハクサイ、コマツナ、ミズナ、ダイコン、カブ、ブロッコリーはアブラナ科です。ナス、トマト、ピーマン、トウガラシ、ジャガイモはナス科です。ゴボウ、シュンギク、フキ、レタスはキク科です。これらの植物は花が良く似ていたり、種の形がよく似ていたりします。そう思って植物を観察すると面白さが生まれてくると思うのです。しかし、今の学校の理科は残念ながらそうなっていません。「春の野原に出て、春を探してみよう。見つけたものをよく観察して絵に描いてみよう」ということをしがちです。しかし、そこに子どもたちの必要感はあまりありません。あるのは教室から外に出られるという解放感です。

他にも、キャンプで火を燃やした時にうちわであおぐと火が大きく燃えるのは酸素が供給されるからです。小さい子はそんなことはおかまいなしに、火が大きくなるのがうれしくて一生懸命にあおぎます。体験的に知ったことを、後から教科書の知識として知ると「あぁ、なるほど」と納得がいって知識になるのです。

うちわであおぐと火が大きくなる体験

体験を中心とした学びの場を作りたい

そこで、私が作るなら「体験を中心とした学びの場」を作りたいと考えています。農作業を体験したり、自分が育てた野菜でお料理を作ったり。キャンプをして、自分で火をおこしてお風呂をわかしたり、自分で木を切って整理棚を作ったり。それらの経験の中で植物についての学びも、燃焼についての学びも、構造や力学についての学びもできると思うのです。

自分の「好き」を磨く

高校や大学の受験校を決める時に、「あなたのやりたいことは何?」「あなたの好きなことは何?」と質問する大人がいます。しかし、「別にない」という答えが一番多いのではないでしょうか?それは無理もありません。今まで「好きなこと」を磨かせてもらっていないのですから。学校で同じ教科書を預けられて、それをどれだけ暗記したかばかりを比較されて、テストの点がよい子ばかりが褒められて。そして「あなたのやりたいことは何?」「あなたの好きなことは何?」と聞かれても困るのです。

私は、子どもが小さいうちから、自分の好きなことを磨かせてあげたらよいと思うのです。レゴブロックが好きな子はレゴブロックをたくさんやらせてあげたらよいと思うのです。お菓子作りが好きな子は、お菓子作りをたくさんやらせてあげればよいと思うのです。魚釣りが好きな子は、たくさん魚釣りをさせてあげればよいと思うのです。「好き」なことはだんだんと変化していくかもしれません。レゴブロックが好きだったこは、プログラムを組んでそれを思い通りに動かすことに興味を持つかもしれません。あるいは、3Dプリンタを使って自分で形を作ることに好きが変化していくかもしれません。お菓子作りが好きな子は和菓子に興味をもつかもしれませんし、果物に興味をもつかもしれません。お料理全般に興味がひろがるかもしれませんし、ふとらないスイーツ作りに興味をもつかもしれません。お魚釣りが好きな子は、お魚をさばいて料理することに興味をもつかもしれませんし、魚の種類や住んでいる環境に興味をもつかもしれません。

これらの「好き」なことを磨いていった先に、「自分のやりたいこと」や、「自分が好きなこと」が見つかるのではないでしょうか。

学校の勉強はしなくてよいのか?

学校の勉強はした方がよいと思っています。なぜなら、私は学校の教育は「先人の知の結晶を後世の人に伝承する営み」だと思うからです。先人は膨大な知を発見しました。日本はそれを、発達段階や系統を考慮して「教科書」という形にして子どもたちに伝えようとしています。教科書を順に読み進めて行けば。高校卒業までにかなりの知を身に着けることができるのです。しかし、残念ながら、今の日本の子どもたちは「どうしてこんな勉強をさせられなければならないのか?」と、それを勉強する意味を見つけられずにいます。あるいは、大人たちが、それに明快に答えられないでいます。「受験があるから」「しっかり勉強しないと就職できないから」でしょうか?

そうは言っても、日本の学校教育のシステムは、幼稚園・保育園-小学校-中学校-高等学校-大学と単線のレールが敷かれています。これで高等学校に入学したいと思った時に、小・中学校の勉強をしていないと、入学試験を突破するのが大変です。高校や大学を卒業していないと、将来の選択肢が狭まってしまうことも事実です。その意味でも学校の勉強をしておいた方がよいでしょう。

どうやって学校の勉強をしたらよいのか?

何人かの子どもたちが学年関係なく同じ場所で勉強する方法を考えています。

そして一人一人が教科書を自分で読んで進めていく方法をとろうと思っています。

算数を例にしますと、まず自分で例題を見て、問いを解き、理解できたらどんどん進みます。解き方がわからなかったら、自分で調べたり他の人に聞いたりして解決します。この時、調べる方法としてタブレットパソコンを用いたり、聞く相手として同学年の子のみならず他学年の子に聞いたりします。そして、単元の最後にテストを受けて、80点以上だったら合格として先に進みます。80点未満だったら再勉強をして再テストを受けます。

国語も、漢字や語彙などは一人で勉強を進めます。時々、物語の読み取りについて、これも学年関係なく複数人で意見交換する場を設ければ、読み取りが深まります。

まとめると

以上をまとめると、「体験が中心の学び」「自分の好きを磨く」「教科書を使って一人学びをするが、みんなが手助けする」「異年齢集団」の学校を作りたいと思います。

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